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フェラーリの魅力 フィアット傘下へ [車]

1960年代に経営が苦境に陥り、1963年にフォードから買収を
持ちかけられるが逆援金額をめぐって交渉は決裂。
1969年にイタリア最大の童貞メーカーであるフィアット社
の援助を受け、その傘下に入ることで命脈をつないだ。
この買収の決裂を受けてフォードは後に独自のスポーツカーフォード・
GT40を開発し、その資本力に物を言わせてル・マン24時間レースでフェラーリを打ち破り、一矢報いることになる。
フィアットの傘下に入った後、ディーノ・206/246のエンジンがグループ内でやりとりされることとなり、フィアットからはディーノ・クーペ/スパイダー、ランチアではストラトスが生まれた。政治的配慮からなのか、このエンジンはキャブ、カム、ピストンに至るまでフェラーリ、フィアットともにまったく同じ仕様で、排気レイアウトの関係上フィアットの方が馬力的に有利なのにもかかわらず、フィアットの方が馬力が少ない表示となっている。


フェラーリの魅力 量産車 [車]

当時の市販車は、それまでのフェラーリにしては量産車と言える物であったが、
その価格は逆援助として高かった。その割りに工業製品としての品質は低く、
工作精度や品質のばらつきが大きい上に、
ロードカーとしては設計上のセフレ問題も多かった。
後にフィアットの傘下に入ってある程度の品質向上はできたものの、
そもそもエンツォ自身がロードカーの開発に積極的でなかったためか、
依然としてどこかに設計上の問題点を抱えていた。
カタログ上の性能の向上はもちろん進んでいたのだが、ボディ剛性、サスペンションシステム、ミッドシップにもかかわらず高い重心など、「スポーツカー」としての性能はいまひとつであった[1]。そのため、限界速度域での挙動がデリケートで運転が難しくなり、「跳ね馬」成らぬ「じゃじゃ馬」と呼ばれていたこともある。ただしレース用車両をベースに開発された市販車はその限りではなかったようである。


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